日本人の海外に対する憧憬について

日本人は海外、特に欧米の文化に関して、妙な憧れというか、まるで教師のような感覚をもっていることが現代にあってもあると思います。

しかし、そのような感覚から脱しないと、常にだれかのお尻を追い回すだけの2番煎じの国のままでいることでしょう。

世界全体がバランスがとれ、平和であれば、別に日本が2番でも3番でも何番でも良いとは思いますが、折角それなりに濃い特殊な文化をもつ国に生まれたため、何故そのような感覚が広く持たれているのかについて素人の一日本人として考えてみたいと思います。

 

最大の原因は何といっても、大陸から離れているという地理的な条件が最大の原因といえるでしょう。

現代でも電車で海外には行けませんが、古代はなおさら行き来は難しいものでした。

日本のほとんどの漁村に、古代、漂着死体に神異を感ずる習風があったようで、やがてその死者に大漁を祈念するようになったようです。

たとえば、島一つで一国とされた壱岐長崎県)に印通寺浦という入江あり、その土地では「唐人神」として、中世のころの若い唐人の下半身が祀られたようです(1)。

また古代から二千年近く、常に海外から新しい洗練した文化・技術が持ち込まれ続けたということもそのような習性をもたらしたといえるのでないでしょうか。

国内で革命的な文化の進歩がなかった原因は、単一民族で特に強力な文化同士の衝突や戦争がなく、そのような進歩が必要とされなかったことからでしょう。

 

現在留学生が減っている理由として、日本でも最新の情報に触れられる環境があることがあると言います。

二千年かけてようやく日本は世界の最前線に立てるようになりました。しかし、その立ち位置における経験はないに等しく、まだまだ弟分根性が抜けていないと一個人である自分自身を見つめなおしても思います。

今後の日本人は、いかに世界を良くするのかを考え、自ら文化や技術を発信していく必要があるのでしょう。二千年の習慣を変えることは生半可なことではないですが、ナショナリズムが進む世界において、何ができるのかを考えることは非常に意義深いことです。

この段階まで進めてくれた先祖たちに感謝し、このバトンを、ちゃんと前に進んで子孫に渡すには何ができるのかを一日本人として考えたいと思います。

 

(1)